漂流する心

アートに関することを気まぐれに書いています。

カテゴリ: 展覧会

トーハクに行ってきた。
狩野永徳の檜図屏風がお目当てである。

修復後初のお披露目だそうだ。
近くで見ると、その筆さばきの豪快さにホレボレする。
離れて見れば、そのオーラに圧倒される。

当時の絵師たちは、注文主たる権力者の好みに沿わないと命の危険があった。
加えて、大量の注文、弟子達やら家門やらへの責任など、永徳さんも大変気苦労が多かったことだろう。

ライバル長谷川等伯が期待をかけていた跡取り息子を亡くしてしまったのも悲劇だが、
永徳の過労死も悲劇だ。

今日では注文主の意向に沿った絵は堕落と考える人もいるかもしれないが、
注文主の審美眼や、画家の技量によって、優れた作品は幾らでも生まれてくると思う。

結局、どれだけ仕事に真剣に取り組むかが、大事なのだ。

昨年の秋は、見ごたえのある展覧会が沢山あったけれど、
今は、アート&クラフト展くらいかな。

先月末まで、渋谷の某美術館で開催されていた素朴画の系譜を扱った展覧会は、
地味だけど興味深い作品が並んでいた。
白隠和尚の作品は、やっぱり好きだな。
それと、あまりなじみのない作品にピリリと光るものもあった。

お正月に見た山下清展は盛況だった。
彼の本物の貼り絵は初めて見た。
日記から垣間見る当時の状況。
放浪中の清に、なんだかんだといいながらも、彼におにぎりや少々のお金を渡す人々。
弱者になるのは自業自得と、運に恵まれなかった人々を蔑む
現代の風潮に染まっている人々はどう感じるのかな。
見てくれで決め付けることに対する、清の素朴な疑問は人間の「弱さ」をぐさりと突く。

当時、清に対してある父親が「●●でも、これだけの絵が描ける」と発言し、
ひどく清を悲しませたエピソードを知っていたが、
彼は頭の使い方が、大多数一般とは違っていただけだと、彼の作品、文章から改めて思った。

会場で放映されていた当時の清を扱ったドキュメンタリー番組
30代の大人の清を「さん」ではなく「君」付けで呼んでいる所に当時の(いや現代も)
製作者がどのように対象者を捉えているか垣間見えるけれど・・・。
簡素なアニメの導入部と手書きの「おわり」・・・に現代のCGどっぷりのとは違う
暖かさと、作品作りの情熱を感じた。
しかし、清のバックの桜の風景、あまりに幻想的で美しすぎる・・・
こんな風景が当時、本当に存在していたのだろうかと思われるほどである。

もちろん、だからといって昔がよかったとは思わない。
今以上に女性にとっては厳しい時代だったから。
ただ、時間のゆるやかな流れと、自然が多かったということは羨ましい。

イメージ 1

不思議なものがあるところ・・それが美術館♪

さて、ここはどこでしょう?

イメージ 1

新国立美術館はガラス張り
原子力発電所のようでもあり・・
ここで、災害にあったら諦めよ。

↑このページのトップヘ